それはとても晴れた日で。。。

未来なんていらないと想ってた、うつと戦う18歳のブログ。

ありふれた毎日が懐かしくなるほど。


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あなたも わたしも 変わってしまうでしょう 時には諍い 傷つけ合うでしょう」

見失うそのたびに恋をして 確かめ合いたい」

 

本日の曲は米津玄師の『カナリヤ』

 

 

ふと米津さんの『カナリヤ』を聴いた時、昔の事を思い出しました。昔って言っても3年くらい前なんですけど、2020年。このアルバムが出たのが確かコロナ真っ只中の8月とかで、これを聴きながら夜勤バイトをしていた記憶がぼんやりあります。もう、上京してから3年も経ったのか、あっという間で駆け抜けてきた感じだけど、本当に色々な事があったなあ。上手くいかない事ばかりで、ニュースもコロナばかりで陰鬱で、ああ、俺の人生って何でいつもこうなんだろうって、何となく、何となく仕方なく、どうしようもなく今を生きて、気がついたら本当に遠くまで来て。今だけは、ああ、悪くないかもなって、ほんの気まぐれで思ったりします。ガラにもなく。

昔の記事とか読み返すと、もう更新されなくなったブログの方達ともやりとりしてて、ああ、俺はこの人達の文章に救われてたんだなって思います。それこそ引きニートの時は人との接点が希薄で、だからこんな場ですら繋がりを求めて、決して多くはなかったけど仲良くさせてもらってた人達も居て。今何してんのかなとか最近凄く考えます。生きてんのかなとか、死にたくなってないかなとか。結局、自分は祈る事しかできなくて、ちょっとでも日々に面白おかしく笑える事があったらなんて、祈りって無責任だなとか思っちゃうんですけど、そう思います。

自分は色々な人に花を贈られて今生きています。その受け取った花を今度は他の人に贈ったり、花をくれた人にお返しをしたり、そうやって生きていきたいです。最近ブログを再開して感じたんですよね。ああ、俺肝心な事を何一つ言葉にしてない。辛い事も嬉しい事も、全部溜め込んだり忘れたりしてしまっている。大切な事は言葉にしないと気付けない。日々の膿を出して、たまーに人に花を贈って。そうやってもっともっと遠くへ行きたいです。いつだったか、10代の頃「遠くへ行きたい」と渇望していました。地元から、家から、部屋から出られない自分が大嫌いで仕方なくて、死ぬ事ばかり考えて。そんな俺もここまで生きて、多分明日も生きて。生きていかなきゃな、しゃあないけど、みたいな、そんな気分です。いや、若干天邪鬼です。若干じゃないかもしれないです。すみません。

8月に24になります。これまで、沢山傷つけました。沢山傷つきました。きっとこれからも、そんな人生だと思います。でも、好きな人には、大切な人くらいには優しく、誠実でありたいです。ちょっとだけ頑張ります。いや、やっぱ頑張りたくないかもしれないです。すみません。はい、すみません。明日も生きていきます。すみません。またすぐ書きます。ありがとうございます。おやすみなさい。また遊びに来てください。ではでは。