それはとても晴れた日で。。。

未来なんていらないと想ってた、うつと戦う18歳のブログ。

独白

先日、講義の後に誘われてクラスで飲みに行った。飲みの流れで、先生や周りから「○○君は視点や考え方が独特」と言われたので「あ〜そうっすね。」みたいな感じで返したと思う。ちゃんと覚えてはないけど。その返答に特に感情を込めたわけでもなく、相手の言葉も悪意を孕んでいる訳ではないのでフツーに受け取ったが、以前だったら「やっぱ自分は皆と違うんだ」って落ち込んだり、又は「やっぱ俺は変わり者なんだ」と喜んだりしていたと思う。人からの印象や評価に対し、ある種フラットに受け取れるようになったというのは自分の中で確かな変化だと感じる。

でも正直、自分の感性なんてまだまだ凡才と思い知る事は多々あって、その要因の一つは自分がお世話になった人達がぶっ飛んだ、所謂天才の部類の人達だからだと思う。彼らの紡ぎ出す言葉や表現、世界観が自分は大好きで、でも自分はどう足掻いても彼らにはなれない事も知っている。そして、天才の彼らは自分よりも生き辛そうに日々を過ごしていて、ああ、自分はまだ常人寄りの感性で良かったのだろうか、凡才の割には生き辛いけどとか考えたりしている。少なくとも、この世界の空気は自分にとって息苦しい。それを嘆いてどうにもならない事も、どうにもならないからこそ嘆くしかない事もわかっているつもりではある。自分の座右の銘って程ではないけれど、「押してダメなら諦めろ」という言葉を頭の片隅の方に置きながら生きていて、というのも自分は諦め切れず、積み上げてきたものに執着して、崩れそうなジェンガを両の手で何とか支えながら、崩れてない、俺は崩れてないと必死に取り繕って、結果より苦しい思いをした経験があるからである。築いてきたものを失う事は痛くて悲しい。当たり前だ。だけど、崩れた荒地から花が咲くように、時間はかかるけれどまた新しい何かが始まる事もわかった。だから、自分の心を守る為にも、「そういうもんなんだ」とできる限り割り切って生きていく事が自分にとって最善の方法なのだと、今は考えている。

この世界は、絶えず猛スピードで変化している。様々な価値観が急激に混じり合い、積み上がった古いモノは排他される。だったらもう、手放してしまった方が良いと思う。いっその事軽やかに、ステップでもしながら。変わっていくのだ、変わっていってしまうのだ、俺達は。生きていくのだ、生きていかねば。この世に生まれ落ちてしまったからには。ああ、これは執着ではない。自問自答だ。変わらざるを得ないこの地上で、変わらず、あなたへの愛を謳い続けられるのであれば、この生にも多少なりとも価値を見出せるのだろうと、今は目を閉じる。