それはとても晴れた日で。。。

未来なんていらないと想ってた、うつと戦う18歳のブログ。

居なくなる前に話そうぜ。


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「どうやったって戻れないのは一緒だよ」
「じゃあこういう事を思っているのも一緒がいい」

 

本日の曲はBUMPの『話をしたいよ』。

 

 

今日、あるバンドマンの訃報が飛び込んできた。自分はその人のバンドを知ってたし、サーキットライブで彼の弾き語りを聴いた事がある人だった。人一人が亡くなって、悲しいとかショックだとか、そんな一言や二言でぱぱっと片付けて良いものだろうか、と思ってしまうのでそういった表現はしないんだけど、今日一日はぼーっとしていた。

人って、本当簡単に逝ってしまうんだなと思う。自分は死にてえ死にてえつって結局今もだらだら未練がましく生きてるんだけど、本当にあっという間なんだなって痛感する。死って何なんだろう。死にたい人間は死に愛されてない気がする。こちらの片思いみたいな。でも、世の中に貢献していたり、バイタリティがあったり、皆から愛されたり、そんな人ほど死が独り占めしようと掻っ攫ってしまう。何か、死という存在からも「お前の命なんかいらねえよ」とでも言われてるようで、でも今の自分が死に手招きされたら「まだ早えわボケ」ってキレそうな気がする。

ウチの母が、数年前に癌の申告を受けた。今服薬で治療をしており心身ともに落ち着いている(と自分は捉えている)が、あと数十年とかそういった単位で生きる事が難しい、いや、病気の知識はないんだけど、そういうのは不可能なんじゃないかなんて、そんな風に思っている自分がいる。

死は平等で残酷で、そして救いでもある。問題は残された人達。祖父母が亡くなって4年近く経つが、話したい事は依然積もりに積もる毎日である。届かない思いを抱えて生きていかなければならない。話をしたい。こんな事があった、あんな奴と出会ったって、届かなくなってからは遅い気がする。今、話をしなきゃいけないんだ。生きている今、ちゃんと伝えなきゃ。些細な事でも、くだらない事でも、話をしたい。きっとそんな事しかできないけど、そんな事が最大の存在証明なんだ。僕とあなたがここに居たっていう。朝も昼も夜も永遠ではない。でも、たわいもない話で笑い合う、そんな時間がずっとずっと続いたらいいのにな。