それはとても晴れた日で。。。

未来なんていらないと想ってた、うつと戦う18歳のブログ。

たとえば、

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今日の曲は森田童子をカバー、ハルカトミユキの『たとえば僕が死んだら』。

それでは日記に。

 

 

お疲れ様ですーお久しぶりです。

はあ、いやね、私とうとう気付いてしまったんですけど、毎日の頑張りに対してリターンが少なくない?って思うんですよ。いやホントにね、人生ってクソゲーだなってつくづく思います。何で生まれてきちゃったかなーとか思いたいんですけど、流石にそれはここまで付き合わせてしまった親に申し訳なくて思わないようにしております。自分のこれまでの道を全否定するのも寂しいなーとも思いますし。ここ最近忙しくて、いやこんな忙しくなる?たかが高学歴でも何でもない文系大学がここまで忙しくなる?と。それはしゃあない一応資格取るための大学だから。しゃあないけどさー運転免許の教習も受けなあかんし、ボランティアも興味あるし、クリスマスイブにバイト入るし、そもそも予定なんて大学教習所ボランティアバイトで全部埋まってるし。これだけやって何を得たかって言われても、俺は何を得たんですかね。そうそう、人生はリターンが少ないってことに気付けました!良かったなこれでお前の将来の夢は女社長のヒモか胡散臭い宗教の教祖様だ!

いや人生ってクソですねゴミですねゴミクソ豚煮込みですね。よし今日の夕飯は豚バラ肉で味噌煮込み鍋だってそういう話じゃねえんだよ。僕にとって今必要なものって、寂しさを埋めてくれる存在なんですよね。具体的にはと聞かれると彼女しかおらんくない?でも別に気になってる人もおらんしそもそも異性とほぼ会話しなくない?いやそれは違うぞキミ俺は不必要な会話をしないだけで仕事的な会話はガンガンできるしむしろ積極的に行ってるまである。あーこれは典型的なコミュ障の症状ですね間違いないコレはああ哀れ!

そもそも、寂しいから彼女作るってのは(作れてないけど)僕の恋愛観における本質からズレてるんですよ。僕の恋愛観としては「その人のことが人としても尊敬できて、さらに異性としても魅力を感じているからお付き合いをさせていただく」なので、「寂しいからそれを埋めるために付き合う」は非常に誠意にかけると思うんですよ。要は余程嫌いじゃなきゃ誰でもいいわけですから。なんか皆それぞれ親友がいたり恋人がいたりで羨ましい俺もそういうの欲しいだってずーっと一人で毎日孤独に苛まれて、挙げ句の果てには家の中に入ってきた小蜘蛛に愛着湧いちゃってるくらいだから。

でもねえ、これでも僕かなり前進した方なんですよ、鬱の時とくらべれば。あの時は「通信制行けてる奴はいいよな。僕はニートだぜ。お前はいいよな。」って妬んでたくらいですから。大学にも行ったのにホント成長しねえなコイツ。なんか死にたみもむくむくっと準備運動始めてる感はあるんですけど、それ以上にやらなければいけないことが多すぎて、そのやらなきゃいけないこともリターンは少ないくせにやらないと大きなマイナスが降りかかってくる...って感じでそれをこなすことに精一杯です。それに、自殺なんてよっぽど鬱じゃなきゃできないです。一度本気で死のうと計画を立て覚悟決めた時もありましたが、今冷静に思い返すととんでもないマイナスのパワーが振り切ってたなと。んで、少なくとも今の僕にはそんなマイナスエネルギーありません。せいぜい弱めの予備眠剤ODで更に体調悪くなって後悔するのが関の山だと思います。もうなー何かの拍子に死なないかなー色々思うとこはあるけど別に後悔もしないからさー。僕が死んでマジで涙流して一生引きずる人って何人いるんだろう。割と両親くらいしかいない気がする。あとはフツーに元気になりそう。いやー俺の人生って何なんですかねえ。地べた這いつくばって、空に飛びたいと思いつつも言い訳ばっかで空を飛ぶ努力もできないで。

「たとえば僕が死んだら そっと忘れてほしい 淋しい時は僕の好きな 菜の花畑で泣いてくれ」って歌詞がなんか刺さるよう〜。