今日の曲は米津玄師の「ひまわり」。
夜勤のバイトをしているのだが、電話も鳴らないし人も来ないような、とにかく暇なので、暇つぶしに何か書こうと思う。
先日21歳になった。僕は16歳で自殺してこの世から一抜けする計画を真面目に立てていたのだけど、それから5年も生き延びた。5年前のことなので、そんな事考えてたっけというような、どこか他人事のような気持ちではあるのだけれど、確かに僕は16歳で死ぬ予定だった。その当時と比べると、出来ることも多少は増えたし、人付き合いもまあまあ慣れたつもりでいる。沢山の人の言葉を聞いて、咀嚼して自分のものにした。得たものからまた悩み、ぐるぐると同じところを何周も回っている感覚もあるのだが、本質的なところは何一つ変わっていなかったりする。
自分は、受け皿みたいな人になりたいと強く感じている。僕は所謂、高校からふるい落とされた人間で、当時の計画通り死んでいても何一つ不思議ではないのだけれど、なんとか今まで生きてこれたのは、沢山の人から無償の愛を受け取り、「許されて」きたからだと思う。運良く沢山の人に掬って(救って)もらったのだ。しかし僕は、言葉すら持つことを許されずに苦しんでいる人達を知っている。
「僕は寂しいです」「私は死にたいくらい辛いです」
その言葉すら弾圧され、ヘラヘラと笑いながらギリギリの状態で生きている人がいることを知っている。
なぜ僕は今生きているんだろう。なぜ僕はあの時死ななかったんだろう。その問いに対する答えは、「お前がその人達の受け皿になるためだ」と、見えない何かが強く言っているようなもんだと思っている(実際に自殺を遂行させてしまった人間には生きる意味がなかった、ということではない。自殺してしまった人達全てに言えるのは、死ぬ必要がなかった、幸せになる権利を持っていた、と考えている)。
だからこそ僕は、誰かの受け皿、居場所になれるような、そんな存在になりたい。そうすれば、過去の蹲っていた、言葉を持てない自分をいつか抱きしめてやることができる気がするから。
お前は生きてていいんだよ。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
うん、夜勤早く終わんないっすかね。