それはとても晴れた日で。。。

未来なんていらないと想ってた、うつと戦う18歳のブログ。

祖父母が亡くなった時のお話。

今日は祖父母が亡くなった時の話をしようと思う。

僕の父型の祖母は昨年の7月、祖父は12月に亡くなった。

とにかく僕を甘やかすような祖父母で、小さい頃から仮面ライダーが好きだったので、祖父が新聞で作ってくれた剣でバシバシ叩いたり、無理やりおんぶしたりととんでもないことをしでかしていた。僕が死んだらしっかり頭を下げて謝らなければいけないと思っている。会うたびにお小遣いをくれた。周りの孫は既に皆社会人として働いていたため、小さい孫は自分一人だった。だから物凄い額のお小遣いをもらったと思う。それに加えてお年玉もかなりの量をもらった。僕自身ケチない性格なのでだいたいは貯金をしているのだが、相当な額であろう(相当な額であることは間違いなく、金額を知った拍子にはそのお金で大人買いやら無駄遣いをしそうなので、親に「まだ言わないでくれ」とお願いしている)。

僕が鬱になった時も、顔だけは見せるようにした。

両親がどこまで僕のことを話したかは知らないが、「無理はするな、ゆっくりしろよ」と気にかけてくれたのを今でも覚えている。

これはあくまで僕の偏見だが、昔の人というのは、精神疾患は甘えだとか、そういう考えだと思っているので、少し驚いた。

僕は治療をしていき、通信制高校に通い、受験することになった。

その夏である。

祖母が急に体調を崩した。

それから亡くなるのはすぐだった。

父は「祖父が心配で、ずっと我慢してたんじゃないか」と言っていた。

祖母が亡くなったというのは、正直実感が湧かなかった。

そもそも、僕の周りの身近な人を亡くした経験が一度もなかったからだ。

喪服を始めて身に付け葬式会場に行った時、衝撃を受けた。

祖父が見たこともないくらいやつれていた。

「おお、(僕の名前)。しっかりお別れしてくれな」と言った時の祖父の目は赤く、口調も弱々しかった。

その姿を見て、涙が出そうになった。

後から「ああ、人が亡くなるというのはこういうことか」と実感した。

人が亡くなるということは、こういうことなんだ。

それから、祖父は急速に認知が悪化していった。

夏の終わりから秋にかけて両親が介護に行っていたが、体調を崩し入院した。

お見舞いに行った時、とても痩せ細っていて息をするのも苦しそうだった。

そして、お世話をしてくれる看護師に対し、しきりに「ありがとう」「悪いな」と呟いていた。

父はのちに「"ありがとう"って言葉を、一番言いたかった婆さんに言えなかったんだな」と言っていた。

そして、12月に亡くなった。

祖母が亡くなった時の告別式は、僕が脱水症状を起こして参加できなかったのだが、

祖父の告別式には参加し、ご遺体と対面した。

ご遺体を見た時、正直、かなり不謹慎だと思うのだが、

「口開いて寝てるじゃん」と思ってしまった。

それは、揺すったら起きるんじゃないか。

そんな感じのニュアンスだった。

当然起きるはずもなく、火葬をしてもらいその日は終わった。

それからは大学や上京の準備でバダバタとしていて、祖父母のことを思い出す、ということはあまりなかったのだが、

最近、ふと彼らのことを思い出す時間が増えてきている。

多分、上京し、たくさんの初めてに触れ、祖父母に話したい!と思うからだと感じている。

こんなことあったんだ!あんなことも!って。

もっと話しておけばよかったのだろうか。

そう考える日もあるのだが、その当時は病んでいたり、受験などで目新しい発見もなく、話したいことなんてろくになかった。

今になって、話したいことが積み重なっていって、それらが行き場もなくとっ散らかっている。

なんともやり切れない気持ちになる。

祖父は酒を飲んだのだろうか。

僕は酒は人生で2回しか飲んだことがないのだが、

祖父との晩酌してみたかったなと、今になって思う。

祖父母は確かに亡くなった。

が、僕の心の中では普通に存在しているし、これからも消えることはないだろう。

僕が死んでも、僕のことをいつまでも忘れないような人。

誰か一人でも、そんな人を作ることができたとしたら、僕の人生は意義のあるものだったと、心の底から思う。

祖父母の家も片付けが終わって、売り払われているのだろうか。

もうそこには何もない。

心の中にしか存在しない。

でも、心の中にだけでも存在しているなら、記憶を辿って会いにいけばいい。

そしていつか僕が死んだ時には、のんびり酒でも飲みましょー。

んじゃバイバイ、またねん。

気長に待っててなー。

 

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