どうも、こんばんは。
くろです。
11月に入りましたね。
11月といえば、僕が初めて、今の病院、精神科に通い始めた月でもあります。
少し、お話させてください。
長めの記事です。
僕が精神科に行きたいと親に申し出たのは10月でした。
自分がうつだということ、病院に行きたいということを伝えました。
両親ともとても驚いていました。
当然といえば当然ですね。
まさか自分の子が精神科に通うことになろうとは、思いもしなかったでしょうから。
僕は親に伝える前から、実は精神科について調べていました。
僕の住んでる地域に精神科はあるのか。
学校で検索した記憶があります。
調べた結果、少し気になった精神科がありました。
ただ、なんとなく、なんとなくここがいいかなって思ったんです。
ピアスタッフがいることも、交流会があることも、実は知りませんでした。
その後僕が話をすると、母も精神科に調べて、
精神科に通ってる叔母にも色々と話を聞いて、(実はこの時、初めて叔母が精神科に通ってることを知りました。)
今通っていて、僕が最初なんとなくいいなと感じた、ここの病院に通うことになりました。
初めて通った時の印象は、「割と静か」でした。
イメージ的に、妄想とか幻覚とかで騒ぎ出す人なんかいるのかな、なんて思っていましたから。
あと、先生がすごい優しそうだという印象も受けました。
実際とても優しかったです。
穏やかな表情でゆっくりと、時々ニコっとしながら、
すごい話を聞いてくれて、時には診察時間がとっくに過ぎているのに、
1時間以上話をしてくれたこともありましたから。
今思うと、すごい先生だなあと思います。
僕が腕を切った時も、何度も何度も謝ってくれて、
なんでそんなに申し訳なさそうにしているんだろうと、胸が痛くなったこともあります。
初診で薬を出されたことにも驚きました。
「できる限り薬は出さないようにしたい」とサイトに書いてあったので、
てっきり出ないと思っていたのですが、出されました。
今思えば、あの時期すでにそれほど深刻な状態だったんだなあと思います。
僕は、初診の時こう言いました。
「やる気を出させてください」と。
今思えばおかしな話ですよね。
でもこっちは大真面目です。
うつでツラくてツラくて、勉強なんてする気になれなくて、
勉強できなかったらテストで赤点とって、そこから補習があって皆に笑われて。。。
もう負の連鎖です。
それだけはどうしても避けたかった。
だから、こう発言したんです。
先生、困っていたのを覚えています。
「やる気を出させてください」から「病気を治してください」になるのには、
かなり時間がかかったと思います。
最初は、部活の休部でした。
実はかなり最初の方から、「うつは休まないと治りません、休部してはどうでしょうか。」と何度も言われていました。
でも僕は頑なにそれを拒みました。
だって、皆にどう説明するの?
皆にうつで死にたいから部活休むよなんて、言えるわけがありません。
あの時、僕は皆の目線を気にしすぎて、自分を守ることなんて頭になかった。
先生に無理やり休部させられました。
先生は僕を守りたくて必死だったなんてこと、当時は気づけませんでした。
でも日に日に増えていく課題、小テスト、そして期末テスト。。。
薬の副作用で日中の意識は朦朧と。
日々僕の病状は悪化していきました。
もう地獄です。
そして日に日に考えるようになったのは、腕を切ること、ODのこと、自殺の方法。
授業中朦朧とした意識で何度も考えました。
そしてついに自殺の方法、日にちが決まってしまいました。
よし、この日に死のう。
それが2月のことでした。
自殺するのだから、もう病院に行く必要はないけど、一応親が心配するし行っておくか。
この程度でした。
学校があるから僕は死ぬ。
先生はこの日、診察の時何か感じ取ったのでしょうか。
鮮明に覚えています。
2月26日、先生が診察中いきなり立ち上がり、いつも穏やかな表情の先生がとても深刻な顔をして、
「学校を1ヶ月休ませるように頼んできます。」
驚きでした。
先生がいきなり学校に電話して、「休ませてください」と頼み込んだ時はとても衝撃を受けました。
でも、この先生の決断に、僕は救われた。
ここで先生の決断がなかったら、自殺、もしくは自殺未遂をしていた。
だから、もう感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、9月6日、
先生と、僕の決断で、半年休学することになりました。
今の僕があるのは、先生のおかげ、ピアスタッフのおかげ、交流会で出会った様々な人たちのおかげです。
本当にこの1年間、この病院で色々なことがありました。
嬉しいことも悲しいことも、先生が全部話を聞いてくれた。
不登校になった時は、ピアスタッフの方も話を聞いてくれた。
交流会では、様々な人が僕のことを思って発言してくれた。
最初は、ただなんとなくだったものが、いつの間にか、
とても、とても大切な存在になっていた。
これは運命だったのかな、なんて思います。
出会うべきして出会った人たち。
そして、僕の人生は終わったわけではない。
これから始まるんだ。
その始まりをくれたのは、この病院です。
僕はこの病院に通って、本当によかった。
言葉では伝えきれないけれど、
本当に、ありがとうございます。
これからも、どうかこんな僕を、よろしくお願いします。