それはとても晴れた日で。。。

未来なんていらないと想ってた、うつと戦う18歳のブログ。

それでも自分は幸せだ。

人って、どうして苦しんで生きていかなければいけないのだろう。

僕の世界は狭いから、

「人間は皆○○である」なんて知ったようなことは言えないけど、

多分大半の人は苦しい思いをして生きていると思う。

そのことに対して、

疑問がむくむくと湧いてきて仕方がないのだ。

そりゃ苦しい思いをしたいなんて人はほとんどいないだろう。

できればなるべく穏やかだったり、

笑って過ごしたいはず。

そのためにと努力をすればするほど、

人は自分の首を締めていってるのではないか。

だとしたら、人は幸せになるために苦しまなければならない。

だからだろうか。

どうしても過去を美化する人が多い気がする。

例えば、苦しいこともあったけど、

今思えば楽しかったなあとか。

それって、本当に幸せ?

あくまで自分に必死に言い聞かせてるだけなのではないか。

刷り込んでいるだけではないか。

そうでもしないと、幸せだと思えないから。

僕は、過去を美化できないでいる。

小学校の記憶も、中学校の記憶も、高1の記憶も、

病気になってからの記憶も、

まず最初に苦しいことが浮かんでくる。

二度とやりたくないこと、不幸になって欲しいアイツのこと。

もう僕の記憶から消えてくれって。

こんな風に考えると、うまく言葉にできないけど、

バカみてーって。

人は幸せになるために、自分は幸せだと刷り込まなければいけない。

心の底から笑ってる人は、意識せず笑ってるわけで。

じゃあ心の底から幸せな人は、意識せず幸せなんだろう。

大切なものは失って初めて気付くなんて言うけれど、

それは大切だからこそ、意識してないわけで。

じゃあ意識している幸福は果たして幸福なのだろうかと。

それって、幸せになりたいって意味なのではないか。

つまり幸せであると自分に肯定することで、

知らず知らずのうちに否定している。

結局幸せとはなんだ。

僕は今のところ、「無知」と考える。

何も知らないということは、気付かないということだ。

意識をしなくなって初めて心の底から幸せになれるのではないだろうか。

何も知らないならば、

人のマイナスな面を見て、感じて苦しむことはない。

人から上部だけの親切を受け取って、感謝できる。

知らないから、傷つくこともなく、ありがとうと言う。

だが僕は知っている。

「無知」が幸せだと知っている。

そして同時に知って欲しい。

「無知」は罪であるのだと。

その「無知」が人を傷つける。

「無知」で幸せになれる人は、一名様でございます。

残りの人たちは、やっぱり苦しみながら、それでも自分は幸せだと言い聞かせてながら生きていかなければいけない。

 

 

ここまで散々考えたが、結局答えは出なかったし、

出そうとも思わなかった。

ただ、本当に面倒くさいって。

僕も、君も、あなたも、お前も、

何で生まれてきちゃったんだろうね。

僕は争いは嫌いだ。

好きなだけ君と話をして、

飽きたらやめてまた次の人と話をして、

お互いを認め合いたい。

その時間も、幸せの一つなのではないだろうか。

やっとわかったよ。

人は「幸せに生きようとして生きたらダメ」なんだ。

 

 

疲れたので寝ます。

また明日。