それはとても晴れた日で。。。

未来なんていらないと想ってた、うつと戦う18歳のブログ。

改めて振り返った過去 2。

 

1の続きです。

 

 

僕は、心療内科に通うようになった。

それでも、体調は悪くなるばかり。

診断は「抑うつ」だった。

薬の副作用による眠気とだるさに勝てなくて、

僕は授業では毎時間爆睡。

周りからは笑われ、先生からは叱責がとび、

どうしようもなくなった。

死にたいという思いも、日に日に強くなっていった。

朝が来なければいいのに、と本気で思った。

そして冬休み、

親が学校に頼み込み、課題の提出を減らしてくれるように頼み込んでくれた。

そして、少ない課題をやりながら冬休みは過ごしていたけれど、

とにかく死にたかった。

死にたくて死にたくて。

そして始まった3学期。

僕は、学校を休めなかった。

委員会があるから。

その委員会は2人でしか構成されていないので、1人でも抜けると大変。

仕事も毎日ある。

それで僕は、もう1人のやつに無理をさせないために、

毎日学校に通った。

保健室なんか、行くわけがなかった。

でも、死にたい思いはくすぶり続けて、

死ぬ方法を必死に調べた。

首吊り、OD、カッティング、練炭など...。

だいたいのやつは成功率は低く、

首吊りも場所がない。

それにこれは僕のなんとなくの考えなのだが、

綺麗な死体のまま死にたいと思っていたので却下。

どうしようもなくなったときに、

南条あやさんに出会った。

正確には、南条あやさんの日記。

既に亡くなっていた。

南条あやさんの文章に惹かれて僕は、

ブログを始めた。

だから、それからの文章は、2016 1月の記事に載ってます。

読むことはオススメしませんが。

死にたいとブログに書き殴る日々が続きます。

実はその後に連絡を取って彼女の家に行きました。

別に楽しくも何もありませんでした。

自然消滅です。

で、症状はどんどん悪化。

そこでだ、

保健体育のテストの時、手が震えていたのでうまくテストを受けられず、赤点を取ってしまった。

それを皆の前で言いふらされた。

「この中に赤点を取ったやつがいる!」

このあとの言葉は覚えてない。

ただ、間違いないのはクソみたいな言葉だったということだ。

膨大な量の課題が出た。

周りの奴らははしゃぎ、

「お前が一番怪しいんだよ!赤点!はやくだせよ赤点の答案!」

それでも学校に行き続けた。

課題も1週間でやって、提出した。

僕が全てを削った課題。

手が震えて、頭かきむしって、奇声をあげながらそれでもやり遂げた課題。。。

「こんなんじゃダメだよ、しっかりやれよ、やり直し」。

その言葉で、僕の心は、凍りついた。

そこからおかしくなった。

腕を切り、

血を見てニヤニヤし、

それを両親に見せつけたのだ。

僕にはこれほどの度胸がある!いつでも死ぬ度胸が!

そう思ってたのだろうか。

母が泣いた。

父がうずくまった。

え?何そんなにショック受けてんの?

俺が、腕を切ったんだよ?

あ。。。

切っちゃった。

その翌日、学校を休まされ、病院に連れてかれた。

また母が泣いた。

それでも、死にたいは収まらないまま、

学校へ行く。

テストも近い。

テストで赤点をとったら、人生終わる。

僕はそう思ってた。

だから、

 

 

死のう。

 

 

そう、本気で考えた。

計画を立てた。

3月上旬、自殺の名所(近くにあるから行ける)に、学校に行くふりをしてそこに行き、

崖から飛び降りて終わり。

これで全てが終わる。

やっとだ。

僕は安堵していた。

心療内科の診察は、適当に受けていた。

内心「どうせ僕は死ぬんですから、こんなことしたって意味ないんですよ」って。

そうした途端に、先生が顔色を変えて、

「○×高校ですか?」といきなり電話を。

そして「くろくんを3月から1ヶ月休学させることにしたんで」

え?

電話を切り、

「ドクターストップです、学校行かなくていいよ。」

これで僕は、ひとまず、死ぬ理由かなくなったのでした。

 

 

続きはまた今度。