どうも、くろです。
今日で17歳になりました。
自分でも驚きです。
まさか生きているとは思いもしませんでした。
なので、今日は僕の人生の中で最も険しく、最も濃い1年。
去年の8月2日から今日までの人生を振り返ってみようと思います。
うろ覚えなところもあるので、正確ではないと思いますが。
あと1年をぎゅっと凝縮したので、かなり長いものとなっております。
時間のある方だけどうぞ。
まず、去年の誕生日は割と色々な人に祝われました。
中学時代の友人や彼女から祝われて、とても幸せでしたね。
(ただ、彼女は僕の誕生日を知らなかったので、何日か後に祝われましたが。)
部活に馴染んできたのもこの頃でしょうか。
もともと無口なので、相手が喋りかけてくるまでは僕も喋らないようなタイプなのですが、周りの奴らが皆人懐っこいこともあって、夏休みが終わる頃にはすっかり仲良くなっていました。
ちなみに口数が少ないか、運動音痴な部分が災いしたのか、
いつの間にか天然キャラになっていました。
まあ中2の時もそんな感じだったのですが。
というわけで16歳のスタートは良かったですね。
8月下旬には人生初デート。
めちゃくちゃ緊張しました。(笑)
もう何が何だかわからなくて頭真っ白になって。。。
ほとんど覚えていません。(笑)
ただ、家に帰ってぐったりしたのを覚えています。
でも、精神的に徐々にガタがきていたようです。
異変に気がついたのは9月下旬。
今までにないほどの憂うつな気分。
ちょうどテスト前で、今まで僕だったら真面目ちゃんだったので、
尻に火がついたように勉強するはずなのですが、
なんかやる気というものが自分からなくなってしまった感じがして、
「やらなきゃいけないのに何もしたくない」
こんな感じで自分の部屋で勉強をするフリをしながらずっと寝ていたことを思い出します。
そしてテストの結果。
過去最悪の成績。
当然父から怒鳴られます。
その頃から部活の練習も、楽しかったはずなのものが段々と苦痛に変わっていきました。
そんな中でも彼女とのやりとりが僕の唯一の支えでしたが、彼女も暇ではないので、
当然返信が遅れたりして、そのことに対して勝手に落ち込んで、
どんどんと精神的に体力が削られていったのだと思います。
そしてついに症状は体にまで現れてしまいます。
塾で勉強中、もし自分がODしたらという想像をしました。
とてもリアルにその光景が浮かんできて、
自分でも衝撃を受けてしまいました。
気がつくと僕の右腕は、カタカタカタと震えていました。
それからです。
その震えは左腕、両足までと広がっていき、様々な場面で震えてしまいました。
そして映る世界が徐々に灰色に。
自殺願望も現れてきました。
ネットで症状などを調べて、僕は確信しました。
「これは間違いなくうつだ。」と。
そしてついに両親に相談しました。
両親はかなり驚いていたようでしたが、真剣に僕の話を聞いてくれて、
僕もその時泣いていてどんな話をしたかイマイチ覚えていないのですが、
11月の最初のあたり、僕は初めて母と精神科に行きました。
そこから暗黒の日々が始まります。
うつの症状がどんどん悪くなるのを嘲笑うかのように、
課題、部活、人間関係、様々なものが僕に立ち塞がってきます。
ついに僕は12月下旬、病院の先生に部活を休部させられました。
当時の僕は反論しましたが、今思えばこの判断は正しいものだと思います。
冬休みが始まります。
毎日死にたいと思う日々。
でも死に方がわからず、毎日ネットで死に方を調べていました。
冬休みも明け、また立ち塞がる課題の山。
もう僕の心はとっくに折れていました。
それでも学校に通っていたのは、僕は二人一組の委員会に属していて、
この委員会は毎日仕事があるので、僕が休むと相手の人が迷惑するからです。
ボロボロの毎日。
そんな時僕はある小説とブログに出会います。
昨日の記事で紹介した、成田ゆうさんという方が書いた小説、
「死んでいった君へ、、、。」です。
これは当時の僕にとってとても衝撃を与えました。
そして、この方がやっているブログを読んで僕は、
このぶつけようのない怒り、悲しみ、憎しみ、死にたいという気持ち、
言葉にしてやろうと思い、ブログを始めました。
ブログはもう好き勝手に書き殴りました。
ブログ書くたびに「死にたい」とか「消えたい」とか書きました。
それと同時に僕は、ODやリスカ、自殺方法などを熱心に調べていました。
そしてついに僕はOD未遂、カッターで腕を切り「アムカ」をしました。
全て親にバレました。
顔に出てしまったんでしょうね。
何かやらかすたびに両親はすごい悲しんでいました。
その顔を見て僕はもっと悲しくなって死にたくなって。
彼女とも別れ、何も無くなった僕に立ち塞がる課題、テスト。
テストで赤点を取ると補習。
ついに僕は自殺を決意します。
2月の下旬頃です。
もう誰の言葉も耳に入ってこない。
やっと納得できる自殺の方法を見つけたんです。
死体も残らない、画期的な死に方。
僕は死ぬことで頭がいっぱいでした。
しかし、僕の計画はなかったことになります。
病院の先生です。
いつものように診察をすると、何を感じ取ったか、
いつも優しくのんびりした雰囲気の先生がいきなり深刻な顔で立ち上がり、
「学校を1ヶ月休ませる、診断書も僕が書く、いいね。」
こう言っていきなり学校に電話をし始めたんです。
もう僕は驚きました。
今までこんな先生は見たことがない、それに学校を無理やり休ませるなんて、
そんなことできるのか。
先生と学校の協力のおかげで、僕は3月1ヶ月の休みをもらいました。
僕の自殺の計画がなかったことになる理由。
それはいたって単純です。
「学校に行かなくていいから。」
僕にとって立ち塞がる壁が一時的に消え、死ぬ理由がなくなってしまったからです。
ここから徐々に回復の兆しを見せはじめます。
ブログもこの頃から毎日更新するようになりました。
写真も音楽も載せるようになりました。
ついに新学期。
色々な人に久しぶりと声をかけられつつ、高校2年生がスタートします。
最初は順調でした。
しかし、徐々に歯車は狂っていき、学校に行くとパニックになる症状が現れ、
6月に入ると、電車に乗るけど引き返してしまう、車で送ってもらうけど引き返してしまう。
そんな日々が続き、不登校になってしまいました。
この期間はとてももどかしかったです。
行きたいけど行けない。
そんな毎日。
毎日うつでした。
それでもなんとか変わろうと必死にもがいてもがいて、
7月についに、不登校を脱することができました。
そして現在の僕があります。
今は毎日補習の日々です。
正直キツいです。
でも、僕より頑張っている人が僕の周りに大勢いる。
負けたくなかった、追いつきたかった。
こういう思いで今を生きています。
この1年で様々なことを学びました。
様々な交流がありました。
様々な思いが僕の中で渦巻いていました。
全てかけがえのないものです。
ただ、僕は3月に死ぬ予定だった。
そんな僕がこうしていろんな経験をして生きている。
そのことがすっごく嬉しくて。
やっぱり僕が生きていられるのは、両親だったり、病院の先生、担任の先生だったり、部活の友人だったり、交流会で出会った人達だったり、ブログを読んでくれている読者様だったり。。。
本当にたくさんの人々に支えられて生きています。
だから僕は、生きなきゃならない。
この人生は僕だけのものだけど、この命は皆のものです。
本当にたくさんのことがありました。
この長い人生という道を歩く中でも、この1年は決して忘れることはないだろうし、
僕の支えになると思います。
最後に言わせてください。
僕と出会った様々な人達、、、
僕がこうして生きているのはあなた達のおかげです。
本当にありがとうございます。
感謝してもしきれません。
これから始まる17歳という1年。
どんな1年になるかは想像もつきませんが、
きっと険しい道になると思います。
それでも決して生きることからは逃げません。
この長文を読んでくださった方々にもお礼を言わせてください。
ありがとうございます。
これからも、頑張るよ僕。
この1年、険しくも、光射す1年でありますように。。。